早寝早起きサラリーマンのオフタイム

Off-time of office workers who keep early hours

「趣味」=「こだわっている」と思わないでいただきたい。

〇言いたいことはわかるのですよ……

仕事中にふと暇な時間ができることはありませんか。味噌影の職場にはあります。

処理する書類が少なかった、電話のコールが少ない、そんな隙間時間が重なって生じる、突然の『雑談タイム』。

一人ならともかく、二人以上があつまる仕事場では、なぜか『会話』が発生しませんか。

複数人集まった空間に沈黙が流れると「とりあえず話そう」という気持ちが働くのでしょうか。突然同僚から声をかけられました。

「味噌影の『趣味』ってなに?」

その場しのぎの常套句、時間稼ぎ代表ともいえる『趣味の話』。

このお題、味噌影は非常に苦手なのです。

ちなみに今回のやりとりは……。

「毎日コーヒー飲みながら、小説読んでる。」

「へー、豆から挽いたりしてるの?」

「いや、市販の中挽き。」

「ブルーマウンテンとかって美味しいの?」

「喫茶店で飲めるやつなら美味しい気がする。雰囲気のせいかも知らんけど。」

「……。どんな小説が好きなの?」

「あれば何でも読む。今読んでいるのはミステリーかな。」

「……。」

なんとも絶妙な同僚の顔。

言いたいことはわかるのですよ。

話を広げなかった味噌影に非がある、それはわかっています。

ただ。

味噌影が調子に乗って買った通販のコピ・ルアクの話に興味ありますか?

最近なんとなく買った週刊文春に載っていた小説が面白かった話に興味ありますか?

そもそも暇つぶしの会話。同僚の趣味が釣りとソシャゲであることを知っています。

絶対盛り上がらない。この手の会話はキャッチボールというよりも、テスト前に同級生と行った一問一答に近いと思うのは味噌影だけでしょうか。

そして同僚から剛速球の『とどめの一言』が飛んできます。

「なんかこだわりないの?」

とはいえ、この問答自体腐るほど経験しているので味噌影も即打ち返します。

「ない。」

実は、味噌影自身は『こだわり』をもつ必要はないと思っている人間です。

〇こだわりってなんだろう

『こだわり』と聞くと、テレビや雑誌で取り上げられた人たちの、いわゆる「造詣が深い話」や「栄養や産地に対する思い入れの話」をよく耳にします。

他にも「この造形に惹かれて」「この機能は○○メーカーが随一だから」といったポジティブな意見が多いと思います。

ただポジティブなイメージの『こだわり』というワード。言葉の意味としては意外とネガティブな意味を持っていました。

広辞苑は無料検索もできるので、興味があれば確認してみてください。

いくつかの辞書を見比べて、ポジティブな意味とネガティブな意味にまとめるなら。

  • ポジティブな意味 → 「価値を最大限まで引き出そうとする」
  • ネガティブな意味 → 「価値の意味を求めることに執着する」

味噌影はそう考えました。

ちなみに『執着』という単語は『シュウチャク』以外に『シュウジャク』という読み方でも通じることを知りませんでした。

〇人の不幸は蜜の味といいますが……

さて、前述したとおり味噌影は『こだわり』をもつ必要はないと思っています。

なので「『こだわり』とは「価値の意味を求めることに執着する」ことである」というネガティブなチャッチフレーズはしっくり来てしまいました。

ではそんな偏った視点で、なにかに没頭している人達から聞いた言葉を変換してみるとどう思いますか?

ちなみに、『執着』という単語の意味は「ある物事に心が深くとらわれて離れないこと(広辞苑引用)」だそうです。ここでは短くして「捕らわれている」ということにします。

「私は、自分の飲むコーヒーの品種にこだわっています。」

>「私は、自分の飲むコーヒーの品種に捕らわれています。」

「私は、自分の読む小説のジャンルにこだわりがあります。」

>「私は、自分の飲むコーヒーの品種に捕らわれています。」

あえて変換した言葉をみてどう思ったかは書きません。

ただ、味噌影は「人の不幸は蜜の味」という言葉を知っています。

自分には縁も興味もないことに没頭している人から聞くことのできる話が、なぜ面白いのか、その理由の一つなのではないでしょうか。

〇味噌影の思う、「こだわる」ことのメリットとデメリット

ただ自分には一切の興味もないことに没頭している人達をみていて、『羨ましい』という気持ちがあることも事実です。

ならばこだわることに、どんなメリットがあるのでしょうか。

こだわりをもつことのメリットをまとめたサイトはたくさんあるので、味噌影の意見を3つ書きます。

あくまでも味噌影の意見と偏見ですので、あしからずにおねがいします。

味噌影の思う、こだわることのメリット

  1. 心が充実する
  2. 造詣が深くなる
  3. そのジャンルにおいて専門家になれる

1について、こだわりについて語っている顔は、満足感と幸福感に満たされていると一目でわかります。「好きなことをして生きている」という言葉が浮かんで羨ましいと思います。

2では、同じジャンルでも製作する人や場所が違えば、そのささいな違いを見比べる機会が増えるでしょう。その結果、各々の思想や技術からできあがった造形について、知識や見解が増えるのではないでしょうか。

2の延長線に行き着くものが3だと思います。なにをもって専門家といえるのか、という基準を考えるのは再現もなく無駄でしょうね。メディアに取り上げられた時点で、すでに「○○専門家」といった肩書がついている人がいますが、あれは自分でつけた肩書なのか、メディアが忖度してつけたのか、非常に気になります。

 

デメリットについては、メリットほど悩むことはありません。

なぜなら薬(メリット)をさらに煮詰めると毒(デメリット)になると思っているからです。つまり『メリット』+『~すぎる』でよいのではないでしょうか。

味噌影の思う、こだわることのデメリット

  1. 心が充実する +『~すぎる』 = 欲求が増える・高くなる
  2. 造詣が深くなる +『~すぎる』 = 知識・見解が偏る、独自の基準をつくる
  3. そのジャンルにおいて専門家になれる +『~すぎる』 = 意固地になる、他人の意見に反語からはじまる

どれも読んで字のごとくですね。

1なら、もう聞きなれた「生活レベルは下げられない」「欲求に際限はない」なんて俗っぽいフレーズでもよかったかもしれません。理想の毎日を続けようとして、コストが馬鹿にならなくなってしまうのではと思います。

2も、たまにテレビで見かけると思います。災害とか環境問題についての『意見交換』の番組やコラムなのに、相手の意見を否定して、答えを統一しようとしている評論家がいませんか。あれ味噌影は苦手なんですよ。『討論番組』だったなら面白くみれるのですが。

3はやはり2の延長線ですかね。素人や思想の違う者の意見は聞かない、そんな雰囲気を醸し出しているような人は苦手意識が強いです。

 

もう一度、あえて言いますが。

あくまでも味噌影の意見と偏見ですので、あしからずにおねがいします。

あと仕事のストレスですかね。

 

〇考えてみると、おそらく味噌影は「こだわり」を持てない

いまでも、なにか一つのジャンルに没頭することを羨ましく思うことはあります。

『一点集中』という言葉もあるので、それは悪いことではないでしょう。

それでも味噌影がいまのところ『コレ!』というものはありません。

今回書きながら思ったことがあります。

自分は注意力散漫なんだろうなぁ

色々なものに目移りしやすい、というよりも目移りしてきて今まで生きてきました。

おそらくこれからも変わらないでしょう。

こだわりを『もたない』、ではなく『もてない』。

そんな自分なんだと、今は自分を慰めることにしました。

 

言葉の上辺だけをすくった個人の意見を読んでいただきありがとうございました。

引っ越しをして、奇妙な隙間時間に気づいた。

〇早起きするだけの平凡な毎日。有意義な時間なんて言葉を知らなかった。

皆さんは「朝型」ですか?それとも「夜型」ですか?

昔から「朝型の人は○○な人~」「夜型の人なら○○な人~」なんて言われていた覚えがあります。

少し前からは「『朝型』になると仕事の効率がよくなる。人生が豊かになる。」と著名人のエピソードをピックアップしたり、書店では「朝型人間になる方法」なんて自己啓発本を目にするようになりました。

とくに『仕事術』『勉強法』のジャンルでは、今もひっそりと新刊がでているみたいですね。

 

味噌影は間違いなく『朝型』です。

 

今の季節なら、朝4時ごろに目が覚めています。

理由は、外が明るくなっているから。ただそれだけです。

朝日が昇りはじめると目が覚め、夕日が完全に沈むと眠くなってくる。

そんなライフスタイルで生きてきて、たぶんこれからも生きていくでしょう。

  

「太陽が昇ったから起きる。太陽が落ちたから寝る。」

 

至極当たり前ですが、人工白夜のような現代に生きているにもかかわらず、「自分は野生動物かもしれない。サバンナで寝起きしているほうが合っているのでは?」という疑問が、いまも頭に浮かびます。

いままで何百・何千回と繰り返してきましたが、いまだに答えがでません。

ちなみに好きな探検家はエドスタンフォードさん。

YouTubeディスカバリーチャンネルは全部観ましたよ。

 

前述した『朝型』になる自己啓発本を読んで練習したわけではありません。

昔は『夜型』だったけど、加齢によって朝が早くなったというわけでもありません。思いたくありません。

おそらく大学生あたりから、妙に朝早く起きはじめていた気がします。

ただその後、何か大事になることもなく平凡な毎日を過ごし、社会人として8年目の初夏を過ごしています。

 

〇自分の時間に疑問をもったきっかけ。

2020年の秋に、味噌影は引っ越しをしました。

理由は社宅アパートの老朽化。

築何十年という家賃が格安という以外は、設備に多少の我慢が必要なアパート。

知らないうちに味噌影以外の入居者がいなくなっていて、ある日A4紙に印刷されたお知らせが来ました。

 

『今後の設備修繕は自己負担になります☆』

 

半分追い出される形で新居を探しましたが、幸運にも職場からそれほど遠くないところに見つけることができました。

味噌影は通勤に時間をかけることをあまり良しと考えていないので、即契約しました。

不満点も常時気になるものではなく、楽しい生活を満喫していました。

家具を一通り揃え、家事のルーチンが決まり、趣味の読書を堪能、ドキュメンタリー映画を観る。

引っ越してから6か月も経てば、新しい生活にも慣れます。

読書を楽しんでいたある日の朝、いつも通り次の章まで読み進んだので、キリがよいと栞を挟みながら、ふと思いました。

 

「家を出るまで30分もある。暇だなー。」

 

「ん?」と生じる疑問。 

なぜなら、以前はキリがよいところで小説を閉じる機会が少なかったからです。

読書の途中でスマホのアラームが鳴ると、「もうこんな時間か。このあとどうなるのかな。」とモヤモヤしながら出社、疲れて帰ってきて続きを読んでも、感動の質が低下したような気がする、そんな日が少なからずあったはず……。

 

一種の気持ち悪さから解放されたにもかかわらず、奇妙な時間の発生に新しい気持ち悪さを覚えました。 

 

〇引っ越し前と今の生活との差はなにか?

というわけで、社宅暮らしのときの自分の自由時間はどれくらいあったのか、ざっくり挙げてみます。

ちなみに平日です。

1.起床4時 - 仕事へ向かう7時30分(3時間30分)

2.帰宅20時 - 就寝23時(3時間)

の合計5時間30分。この時間内に入浴、食事、後片付けをこなします。あとは余った時間を読書やインターネットで過ごしています。

 

では今の生活はというと、実は社宅暮らしのときとそれほど変わりません

家から会社までの距離もほとんど変わらず、道路状況では今のほうが早いかもしれません。

 ただ大きく違うことがあります。

 

掃除にかけていた(かけざるをえなかった)時間

 

 以前の味噌影は、ほぼ毎朝掃除をしていました。

掃除をするのは当たり前と言われると困ってしまいますが、ひとことでいえば家のメンテナンスでしょうか。

 築何十年の社宅の老朽化は半端でなく、軽い水漏れや虫の侵入など、それこそ挙げればキリがないくらいの多少の我慢が必要でした。

早起きが当たり前だった味噌影は、朝の20~30分を掃除兼メンテナンスに充てていたのです。

もっといえば家事にも時間を使っていたので、朝の読書をひとしきり楽しんでも30分の余裕ができていたのは、上記の作業がなくなったからかと思いました。

 

〇空き時間を読書に回せない。『朝活』という意味を考えはじめる。

 『朝の時間は貴重だ』という言葉はたびたび聞いたことがありました。

自分も大事な仕事があるときは、出勤時間を早めることも何度もあります。

しかし、仕事前の朝に30分の掃除をすること何の疑問も持たなかった数年間の自分に気づいて衝撃を覚えました。

必要なことだと思っていたし、実際必要なことだったと思います。

いまなら2日おき、3日おきでもよかったのではと思いますが、こういった反省は環境を変えない限り気づかないものだと思います。

 

「自由にできる時間が増えた。ならもう少し読めるかな。」

 

当然そう思いましたが、するとあの気持ち悪さが帰ってきてしまいました。

 

「もうこんな時間か。このあとどうなるのかな。」(リターンズ) 

 

ある意味本末転倒。それどころか得体のしれない気持ち悪さの相加効果で、変なストレスを感じました。

もやもやしながら1週間が経ち、とりあえず解決策を考えました。

味噌影は単純なので、あれこれ考えたりはしません。

思いついたことはたったの2つ。

 

  • いままで通り、本はキリの良いところで読み終わる
  • のこりの時間で新しいことをしてみる
 『朝の時間で何をする』で検索すると出てくるのが『朝活』の記事・記事・記事。

 

朝活にこだわるつもりはありませんでしたが、ひとしきり読んでいくなかで思ったことがひとつ。

はじめるなら、自分のタイミングで止められる『自分主体のもの

読書や動画やゲームについては、こちらが依存してしまう『あちら主体』なので除外。

なら『自分主体』とはなにか。

単純に前述した反対の意味、あちらに依存させる、という意味ではないでしょう。

『キリが良い』という間隔が短いもの、ちょうどよいもの

それが自分主体である、そう味噌影は考えました。ではなにがあるのか。

あくまでも家で行うことが前提なので、選択肢もそう多くないと思いましたが、案外たくさんあります。

掃除・整理整頓、情報収集、運動、勉強、その他諸々

そんな中気になったのが、瞑想のような『思考する・長考する』ということ。

今の生活に新しいアクションは必要なく、メモを取ればいつでも止められる。

少なくとも自分の考える『自分主体』のひとつではないか、と思いました。

 

誰かが考えた活字を読んできた自分が、活字を考えてみるのは楽しいかもしれない。 

 

活字にかかわる『朝活』には何があるのか、選択肢はだいぶ絞られていました。

 

〇そうしてはじめてみたブログが『早寝早起きサラリーマンのオフタイム』

生活環境の変化とともに、自分の考え方にも少し変化があったのでキーボードを叩いています。

今後、自分の考えや経験したことを少しずつ発信していきたいと思います。

稚拙な文章ですが、今後ともお付き合いしていただけたらと思います。ぜひ皆さんの意見などを聞かせてください。

 

ブログのデザインは、今後少しずつ勉強して更新していきます。

しばらくは質素なデザインで、お付き合いをおねがいします。